北に険しい四国山地が控え、南に雄大な太平洋が広がる高知県は、独自性のある食文化や生活文化が根付いている。例えば県民食ともいえるカツオのたたき、宴席に欠かせない皿鉢(さわち)料理、菓子の坚干(けんぴ)、土佐の日曜市を代表とする街路市などが好例だ。これらは、今や観光客を惹きつける観光资源にもなっている。
こうした文化が生まれた背景には、江戸时代の殿様や武士の関与などがあったとされている。残された歴史的な史料には、殿様が口にした料理、藩が制定した决まりなどに「カツオ」や「市(いち)」の记述が残っている。そこでそれらの史料をひもとき、今も爱される「高知名物」の歴史を访ねた。
高知を代表する食材としてまず思い浮かぶのはカツオ。中でも表面を火で炙り、冷水でしめてポン酢や薬味で味わうカツオのたたきを「高知発祥である」と考える人は多い。その理由として、「土佐藩主が食あたりを案じてカツオの生食を禁じた际、カツオ好きの人々は表面を焼いて焼き鱼と偽った」という话がまことしやかに伝えられているためだ。
「この説を里付ける証拠は、今のところ见つかっていません」と话すのは、高知県立高知城歴史博物馆の学芸员?藤田雅子さん。1690年(元禄3)、4代藩主山内豊昌(とよまさ)は、それまで藩が発布した法令を『元禄大定目(げんろくだいじょうもく)』にまとめた。以降、幕末まで新たな法令を追加して残しているが、そこにカツオの生食を禁じたという记述は一切出てこない。多くの人が信じている「殿様が禁じたから」という説は、里付けのないものなのだ。
だからと言って「たたきは高知発祥ではない」とも言い难い。カツオの调理法の一つに「土佐造り」がある。これは炙った身を冷やさず、温かいまま食べるもので、県内では「焼き切り」とも呼ぶ。高知では「たたきの始まりは渔师が船上で食べていた贿(まかな)い」という説もあり、より少ない手顺で调理する点でも説得力がある。
「カツオのたたき」の発祥には谜も残るが、高知県民が古くからカツオを爱食していたことがうかがえる絵画が残されている。江戸时代に描かれ、后に模写された『土佐年中行事図絵』がそれだ。「江戸时代の年中行事を1カ月毎に描写したこの絵に、天秤棒を担いでカツオを运ぶ鱼屋の姿があります」と藤田さん。また、1799年(寛政11)に発刊された『日本山海名产図会』にも诸国の名产物とともに、「土刕鰹钓(としうかつをつり)」が描かれており、黒潮に揉まれながら1本钓りをする様子は现代の渔を彷彿とさせる。
加えてカツオの加工品も、江戸時代の高知の特産品であった。1650年(慶安3)、江戸に滞在中の2代藩主山内忠義(ただよし)は、「カツオのたたきが到着した」という手紙を高知に向けて書いている。ただし、この時のたたきは、カツオの身を血とともに漬け込んだ発酵食品であったようだ。ほかにも1813年(文化10)に江戸幕府の老中から届いた『老中奉書』は鰹節の献上に対する返礼。また名物番付である『諸国名物類聚(るいじゅう)』(江戸時代後期)には、「土佐 勝男武士」が堂々と東の大関(最高位)に輝いている。食品だけではなく、『尾戸焼(※1)松魚(※2)図野樽』、『鰹形皿』など、カツオをモチーフにした器も複数残されている。さまざまな形でカツオを愛する高知が、江戸時代から「カツオの国」であったことがよく分かる。
※1 尾戸焼…2代藩主山内忠義の時代に高知市内で発祥した焼物。土佐藩の御用窯から産した陶器
高知の宴席には、大きな皿に山海の美味を盛り付けた皿鉢料理が欠かせない。皆で料理を分け合うという风习は、収穫祭で神様への供物を神事の后に分け合う直会(なおらい)に端を発する。江戸时代初期に、磁器焼成の技术向上により、大皿が焼けるようになったことから、高知ではそれに料理を盛り付けるようになった。「当时の上流阶级の宴席では、味よりも见た目を重视し、仪礼化した本膳料理(※3)による宴の后で、大皿料理を楽しんでいたようです」と藤田さん。
県内には江戸时代后期の能茶山(のうさやま)焼(※4)の见事な皿鉢が残されている。また藩の家臣であった森勘左卫门の1799年(寛政11)の日记には、酒宴献立として、皿鉢に盛り付けた鰆の作り身、鯖の寿司などのご驰走が记録されている。これを楽しく味わうことが「おきゃく」の始まりであるというのが定説だ。
ただし、皿鉢料理を楽しむ当时の风习は、武士や上流阶级だけのものであった。「江戸时代は质実刚健を旨としており、赘沢品である皿鉢の売买や使用を农村部で禁止した藩令も残されています」と言う藤田さんの言叶どおり、皿鉢料理が庶民に浸透するのは明治时代以降。ただし大皿に生(さしみ)、组み物(煮物や焼き物)、寿司を盛り付けるというルールは、江戸时代に确立していたといわれている。
※3 本膳料理…武家のもてなし料理の形式。複数の膳に料理をのせて出す
高知名物の菓子として、サツマイモを扬げて砂糖を络めた芋ケンピはよく知られている。「芋ケンピは小麦粉を使った干菓子の坚干から派生したもの。坚干は土佐藩とゆかりのあるお菓子です」と话すのは、西川屋(にしがわや)12代目の池田再平(さいへい)さん。西川屋は1601年(庆长6)に初代藩主山内一豊(かつとよ)が土佐に入国した时から御用商人として仕えてきた老舗。当初は主に素麺を藩に献上していたが、「殿様を喜ばせる新しい味わいを」と白髪素麺と麩(ふ)の製法をヒントに研究して生み出したのが坚干だ。小麦粉に砂糖と少量の卵を加えて练った生地を、细切りにして窑で焼き上げたもの。その名の通りにしっかりと歯ごたえのある坚さ、やがて広がる素朴な甘みに一豊公もいたく喜ばれ、以降、事あるごとに藩からの注文が入った。また西川屋赤冈旧本店がある香南市赤冈町は、参勤交代や游覧の际には殿様の宿泊地でもあった。その际、出来たての菓子を献上したこともある。
「ご先祖様が商品を入れてお城に持参した箱、藩からの注文书などの史料がこうした歴史を物语っています」と説明するのは西川屋13代目の池田真浩さん。これらの史料は、西川屋だけではなく近世の食文化を探る上でも非常に贵重なものだ。
现在、コロナ祸により史料を保存?展示した赤冈旧本店は不定期営业となっているが、「江戸时代の面影を残す建物で、その顷と変わらない味を気軽に楽しんでもらえる日を迎えたい」と愿う真浩さんだ。
サツマイモで作った芋ケンピは、その形が坚干に似ていることから名付けられたとか。西川屋でも手作业で蜜渍けする芋ケンピを製造している。それぞれの歯ごたえと味わいを食べ比べるのもおすすめだ。
日曜市などの土佐の街路市は300年以上の歴史をもつ。その根拠となっているのは、『元禄大定目』だ。1690年(元禄3)の时点で、藩令により市を开く日や场所を决めた记述がある。「江戸时代には、日切市(ひきりいち)として、市内各所で市が立っていました。明治になり、曜日の概念が定着して以降、现在の各曜市へと発展したのです」と藤田さん。
现代の街路市は日?火?木?金曜の週4日。最大规模の日曜市は高知城追手门から东に伸びる追手筋沿いの约1㎞に、300店ほどが出店。农产物や海产物を中心に、金物や衣料、工芸品まで多种多様な品々が并んでいる。市民の台所として爱されてきたが、近年は観光资源としても重要な役割を果たしている。2018年(平成30)から始まった「れんけいこうち日曜市出店事业」は、高知市以外の市町村が顺番で地场产物の贩売を行う。日曜市を活用し、各地域の魅力発信が行われているのだ。
高知の物产やお国言叶に触れられる日曜市をそぞろ歩き、高知城へと足を伸ばせば、江戸时代から続くこの地の魅力を体感できるに违いない。
| 住所 |
高知県高知市追手筋2-7-5 |
|---|---|
| 电话番号 | 088-871-1600 |
| 开馆时间 | 9:00?18:00(日曜は8:00?)※入馆は闭馆の30分前まで |
| 休馆日 | 12月26日?31日 |
| 入馆料 | 500円?(展示内容により异なる)、高校生以下无料 |
| URL |
| 住所 |
高知県高知市知寄町1-7-2 |
|---|---|
| 电话番号 | 088-882-1734 |
| 営业时间 | 9:00?19:00 |
| 定休日 | 无休 |
| URL | |
| 备考 | 西川屋赤冈旧本店(西川屋おりじん)は当面の间、イベント时など不定期営业 |
| 电话番号 | 088-823-9456(高知市产业政策课) |
|---|---|
| 时间 | 6:00?15:00顷 |
| URL |